1998年の米英合作 " Sliding Door "という映画。
地下鉄のドアが閉まってしまい電車に乗れなかった場合と乗れた場合の、一人の女性の人生の分岐点、2つの道の行方を同時進行していく物語だ。
自分自身でも、あの時、別の道を歩んでいたらどうなっていただろうかなどと何となく想像してみる事もある。
僕は 1982年から 1998年までの 16年間 New Yorkに住んでいて、今思えば、分岐点に立つと、いつでも難しい道を選んでいたように思う。
New Yorkではなく、Parisという選択肢もバブリーな東京での活動という選択肢もあったわけだ。
日本の企業の仕事で渡米し、 数年が過ぎ、ファッションにおいては野暮ったい街だが、目では見えない、心でしか感じられないNew Yorkの魅力に惹かれ、自分自身にとっての居心地の良さを見つけた。
本当のNew York で1流と呼ばれる人達と関わり、New York そして世界を知るには、何も知らない僕の力では絶対に無理だ。1流のファッション / デザイナーの会社に入り、そこに集まる1流の人達と仕事をするしかないと思い、(当時は ネットも無い時代で)履歴書と心を込めて1点1点作成したプレゼン資料をゲリラ的に1流デザイナーの会社に(50社以上)送ったかな。 片っ端から断られ、 2社だけが面接してくれて、 2社共 OKをくれた。 今だから言えるけど、緊張やら言葉の問題等々、不安がマックス状態で、面接に行くのが怖くて嫌で、このまま帰ろうかと思ったことが今となっては懐かしい。
結局2つの選択肢から当時アメリカのMen's 市場で最も影響力のあった Alexander Julian 社に入社したのは良いが、日本人はおろか、英国人が数人いるだけで、アメリカ企業の日本との文化の大きな違い、強いものが支配する世界のジャングルの現実を受け入れながら学習し、少しづつ強い人間になり、必ず答えを出していく習慣が身についた。 マーティンルーサーキングジュニア牧師の名言にもあるように、 "最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。 沈黙は暴力の陰に隠れた同罪者である”。 見ざる言わざる聞かざると言った、日本では一見当たり障りのない安全そうな人は、グローバルの世界では、通用しないということである。働き始め当時はミーティングがあると胃が痛くなったものだ。
一方、僕の勤務するデザインスタジオは、夢とロマンスが漂う自由な空気が流れ、自分の力だけではとうてい、手の届かない、マグナムの写真家、ショーの演出家、アクター、アクトレス、等々、多くの1流の人達と一緒に仕事の機会や交流が持てたことは大変光栄なことだ。4年間の勤務の間、コティー賞受賞、NBA バスケットボール、カレッジバスケットボールのチームユニフォームでは、マルチカラーストライプやアーガイル、オーバーサイズ等々、バスケットボール界の革命的なデザインとなり、大きな話題となった。ポールニューマン率いるインディーレーシングチームのデザインも楽しみながら出来た、チャレンジは尽きないけれど、本当に面白かった。
Alexander Julian社にて、活躍の場をいただいた事でビッグネーム、無名だが主張のある会社等々、様々なアメリカの会社からのオファーがあり、Chicagoベースのアクセサリー会社のオファーを受ける事にした。
ネクタイが低迷している中の事業で、自由にコレクションをやらせてもらえるとの事で、それなら、"ネクタイをしない人の為のネクタイ"を作ろうと思い、遊び心のあるユニークなコレクションを発表しました。
しかしながら、最初のコレクションはビジネス的にはダメで、それでもやり続けたら、メディアに多く取り上げられ、大きな話題となり、ビジネス的にも大成功に導く事となりました。
知り合った人が、僕のネクタイのファンで、その人はグッゲンハイム美術館の偉いさんで、田島デザインでグッゲンハイム美術館のコラボネクタイとスカーフを作って、ミュージアムストアで展示販売をやろうという事になり、結局 5年間でかなり売れたかな。(わずか 2柄の契約書の厚さにびっくり .....流石契約社会のアメリカ)
New York らしいストーリーですよね。 ご縁は大切ですね。その後、その方はフィラデルフィア美術館に移り、今でも時々メールで Stay in Touch。
MOMA / ニューヨーク近代美術館ともネクタイ/スカーフコラボはやりました。
世界を代表する美術館とのコラボ企画も楽しいチャレンジでした。
*打ち合わせで美術館の裏側へ入った時、ものすごい絵が立てかけてあり、驚いたのも思い出す。
僕にとってのNew Yorkは昔も今も特別な街で、チャレンジしがいのある場所である。初めて New York に行った時のにおいは今でも忘れない。
今のNYは安全で、クリーンになって目に映るシーンも昔とは違うけれど、やっぱり、New Yorkの大切な美学は目で見るのではなく心で見ないと理解できない。
New York 時代の一部分を思い出しながら。